技術や知識や体験は、何があっても常に自分の味方

好きに生きよう道

人は変わる。
どんなに親しくても、仲良しでも、信頼し合っていても。
それが永遠とは限らない。

いや、永遠であるわけがない。

お互いに少しずつ変化しながら、その時その時にお互いとの具合を推し量りながら…というのが、人との関係だ。

それは、たとえ家族であっても血が繋がっていても、違いはない。

だから、時と場合によって距離は縮んだり離れたりするし。
関わり方の度合いも、変化していく。

なにより私は「ずっとあなたの味方だから!」みたいな言葉をサラッと言う人を、そもそも信頼しない。
そんなこと言わないけれど、常に信頼に応えてくれるし、こちらも応えたいと思う人達を知っているし。

  

最終的には、自分を守り支えていくのは、自分自身に他ならない。
だから他者はいらない、とかいうことではなく。
自分自身で自分を支えることができなかったら、人を支えることはもっとできない…と、思うだけだ。

   

今も私は、過去の自分に助けられている。

過去に学んだこと…私は学校は嫌いだったが。
それでも、学校で学んだことは、確かに今も活きている。

美術科の学校に入って、絵画が嫌いになった。
多くのイヤな記憶も作られた。
笑うしかないこともたくさんあった。

そんな学生生活であっても。
超のつく劣等生であっても。
虚無感と厭世観をたっぷり培った環境だったとしても。

やっぱり、そこで得た知識や、普通なら触れないであろう専門的な画材の数々を体感してきたことは、活きている。

   

だから。
昨今の「下積み不要論」や「辛いことはしなくてもいい論」には、全面賛成はできない。
個々のケースによる…としか、言えない。

確かに、私達の世代が最初に教えられた「烏口で線を引く」といった技術は、今はほとんど役に立たない。
目で見て級数を判別する技術とか、文字を一つずつ切り貼りして手で詰めていくとか、そんなのも今は必要ない。

しかし、実際使う機会がないからといって、ムダだったとは思わない。

  

今、「こんなことをさせられて、これが一体何になるんだろう」と悩んでいるのなら。

今はわからなくても、将来「やっておいてよかった」と思う日は来るよ。

と、言いたい。

いつかなんて日は来ない。
それも、その通り。

来ない日のために今耐える…というのが、イマドキ流行らないのもわかっている。

それでも。

「いつか」は、来ることがある。

人が歩いている人生という一本道は、ちゃんとつながっている。
曲がりくねっているかも知れないけれど、時々断絶しているようなこともあるかも知れないけれど。

でもやっぱり。
自分、という肉体が一つの容れ物である限りは。
(いや、肉体が入れ替わっていても中身は一つにずーーっと繋がっていると感じてる派だから、容れ物が変わっても…だけど)

歩いてきた道のりで身に着けてきたことは、いつだって、自分を守って支えてくれる。

辛くて逃げるしかない、という状況まっただ中の人に面と向かっては言えないけど。

それでも。
後から振り返った時に、「こういうことか」と思う日は、きっと来る。

  

だからね。
今日の一日。
明日の一日。
そのまた次の一日。

巡ってくる時間、そこでする経験を。
ちゃんと自分自身で、一度は、受け止めてみよう。

他の誰にも取られることはなく、決して自分を見放さない。
それが、自分が積み重ねた経験と、そこから得た技術や知識、体感だから。

  

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