その情報、本当にほしい?強制遮断で感じた「ノイズ過多」

日々徒然


先日、少々体調を崩してしまい丸2日寝込みました。
もちろんそれは、日頃の不摂生等あって、思いのほかドカッと出てしまったということで自己管理がなってないという話なのですが。
後になってみると、寝込んでいた2日間というのが案外、貴重な時間だったなあ…と、思ったのです。

今回は、「情報を遮断した中で、ゆっくりと考える」について書いてみます。
これが2018年の記事納めになる…かもね。

見ること聞くことの大半はノイズだった


画面を見ることがつらく、文字を読むこともつらかったので。
当然モニタ画面を見ているなんて、数分が限度。
なのでその間はSNSやブログ等もほとんど見ませんでした。


音は、普段からさほど必要としないので、音楽もそれほど聞かないのですが。
調子が悪い時は、むしろ音が邪魔になります。
なのでラジオやYouTubeなどもほとんど視聴なし。


途中、病院に一度行った以外は外出なんてできません。
すると、家人以外の人とは会わないわけで。
私は、具合が悪い時はかまってもらいたくなくて、放置されるのが一番快適。
家族はそれを知っていますから、こちらから呼ぶ時以外は別室隔離のままで何時間でもおいといてくれます。
なので、人との会話も、ありません。

結果として。
強制的に、外部の情報が遮断されました。
暗くした部屋の中で、一人。


私は寝込んでる時って、飲食もほとんどしなくなります。
水分だけは枕元にボトルを置いてあるのだけれど、それもあまり採らなくなって。
2日間、断食したようなものでした。
それがいいかどうかは置いといて。
その結果、消化吸収などもしなくてよい状態。

身体の働きも、かなり最低限しか必要なくて。
「身体を動かすというスイッチをオフにする」という状態。


渦中はそんなこと思い巡らせる余裕もないので、後から気がついたことですが。
雑事がまるっとなくなった状態になったっていうね。
意識はもちろん、無意識領域も、かなりフリーになった感じ。

クリアになった…ていう表現はよく使われるけれど。
こういうこと?って感じるくらいの、後からの感覚でした。

で、思ったのが
「日々のほとんどは、ノイズだな」
ってこと。

FacebookもTwitterも人のブログも、一切見なくても何一つ、自分の生活に支障ない。
むしろ。

「それらに費やす<自分の時間>の多くは<好んでノイズを入れている>ようなものなのでは?」

とすら、思いました。

必要以上のノイズは、自分のリソースを直接削る

これが、病明けにとても強く感じたこと。

体調不良そのものの是非はともかくとして(笑)
情報を仕入れているようなつもりになっているだけで、単にノイズをため込み己のリソースを浪費するだけの話になってしまってた…ということが実感できたのは、結果オーライでした。

年齢のせいにするわけではないけれど、実際に、昔のようにサクッと復帰はできなくなっています。
自分の維持、というだけでも、昔より多くのリソースが必要になっているってことですから。
そこに加えて、自分自身のことではない外部情報を、あたかも必要不可欠な栄養素であるかのように摂取し続けていれば、そりゃあ…ね。

本来、感じて、それを考えて、咀嚼して、自分の養分に変えていくというサイクルが乱れてくるのは、当然のことなのだよねえ。

「あたかも必要なもののように」っていうところが、ミソ。

そりゃあ、SNSとか、見てて楽しいし。
よく絡んでいる人達の動向が刺激になったり、いいこともたくさんあります。
けれど、じゃあ、それが「本当に、今、自分に必要なのかどうか」って、よーく考えるとね。
必ずしも、そうでもないよね。
ていう。

入れる情報の対象は意識的に選び、アップデートすること


本当に必要な「見る対象」は、意識的に選んでおかなきゃいけないです。
そして、それをちゃんと、アップデートしていかなきゃ。

なんせ。
今回の「ああ、ほとんどはノイズだったのかな」って感じた後、見たい対象がすごく狭まりました。
ふわっと広く浅く眺めていたい時と、しっかり意識を向けて考えながら見たい時。
刺激がほしい時。
必要な相手。

そういうものが、はっきり自然に、選べるようになった感じ。

そして、その対象は、日々移り変わります。
自分の状況によっても、自分の周りをとりまく状況によっても。
社会の動きによっても。

人も、日々変わります。
自分の興味の対象が変わる以外に、対象となっている相手も変わるのだから。
今日はよくても、明日はもう合わない…なんてことは、ザラに起きる。
そのことを、ちゃんと、意識的にキャッチしておかなきゃ。
リストはアップデートできません。


この「素晴らしき時代」を、さらに素晴らしい時間にするために


基本的に、現代は素晴らしい時代だと思っています。
インターネットによって世界は変わったし。
SNSやブログがある今の時代は、何をするのもやりやすくなり、便利になりました。
どこの誰とも知れない私みたいな個人でも、発信媒体を持つことができる。
こんないい時代に生まれて、ありがたいと思います。

だから、それをより素晴らしいものにするために。
主体性は、大切だ。

なにをおいても、「自分の意図」を自分でしっかり把握しておくことですよね。

何が必要か…というセンサー。
快か不快か、ていうセンサー。
センサーが拾ってくるシグナルを、ちゃんと処理できるためのリソースをいつも空けておくこと。

ノイズだらけになっていると、そういうものは拾いにくくなる。

モノが多すぎると、それを見ているだけでも脳が処理する情報が多くなる…というのと同じですね。


私、これから、もっといろいろと作るものも描くものも、あるのです。
やりたいことも、やらなきゃならないことも、あるのです。

そのために必要な自分のリソース。

一つの物事をゆっくりしか処理できなくなってきている。
それを、ちゃんと自覚して。
必要な時間やエネルギーを見積もる時には、今までよりも多めに枠をとっておかなきゃいけない。

降ってくるものの質量が減るってことは、たぶん、期待できません。
むしろ増える可能性の方が大きい。

だったら、それを受け取れるようにしておかなきゃいけないし。

自分の方からノイズをとりに行ってる余裕、ないよねえ。


と、そんな風に感じた、年末の数日間。

それにしても………

体調管理は、しっかりしなきゃねえ。