否が応でも、時代はかわりゆく

見えないセカイ

ベトナム記録が途中ですが、本日はこの日本という国にとって重要な発表があった日ということで。
越国のことは少し置いて、今思うことを書いてみようと思います。
(あ…書いているうちに日付が変わってしまいました…)

  

方向づけがなされた、ということ

名を決める、ということは、名付けられた対象の方向を決定することでもある…と、私は考えています。

つまり、本日発表された新しい元号は、この国に方向付けがなされたということですね。

「令和」という名の出典等は、多くの方が書かれていることと思いますので、私が付け焼き刃で語ることはやめます。

他の候補については、比較を避けるために公表はしないとか。
私は、この決定については、よいのではないかなと思いました。
外された名称について外野がどうこう言ったところで意味ないし。
何か起きた時に、「あの名前にしていれば」的な話が出るのは目に見えていますしね。

令和という名称、その音の響き、漢字の意味と成り立ち。
それらをどのように解釈し、どのように受け取り、どのように、今後向き合っていくか。

令という文字の持つ要素が、元号というものとして現れた時に備える「ちょっとイヤな感じ」があるのは、事実ではあります。
それでも、この元号を5月から使うことは決定されています。
その時代を、よりよいものにしていきたい…という思いは、誰もが同じなのではないでしょうか。

   

私の一個人的「新元号」の意味づけ

国全体のことではありますが。
今回私は、この「令和」という元号を冠く一国民として、自分はこの元号をどのように「自分のこと」として方向付けるか、考えました。


「己の律する令に則り、和をもって臨むべし」

これを、これから始まる新しい時代を生きていくにあたっての指針としていきたいと思います。

自分のことは自分で決める/他者との関係性を和する方向で…っていう基本的なことを小難しく言ってるだけなのですけども。
私自身の現在置かれている状況というのが、意外と「他者の動向に大きく影響を受けやすく、ともすれば流されがち」ということも、あります。

まだ公にはできないことが沢山、起きてきているのですが。
それら、どれ一つとっても、私一人の好みや都合だけで決められないような流れの中にいます。
何が起きているのかは、もう少し先に、徐々にお知らせしていければいいな…と思っているのですが。
流れは、ほんの1、2ヶ月前には予想だにしなかった方へ、しかも大がかりになって、動いています。
もう、今は、私自身が舵を取っているのではなく、大きな船に乗せられて操舵を見ている…というような感じです。

それでも。
ていうか、だからこそ。

一つ一つの出来事や選択肢を、自分自身でしっかり把握して、決めていくことが、とても大事なのです。

そういう時に発表になった、令和という元号。

国全体に与えられた方向付けですが。
一個人としても、この「呪(しゅ…この場合は祈る…祝に通じる意味合いとして用いています)」を自分の道をゆくための型としていこうと思います。

  

はい。
私に下ってくる見えない世界的「令」に対して、その「個人的指針の型」として用いることによって、私の選択の自由度というものをどの程度、確保することができるのだろうか…
なんて、思ったりもしていますよ。

選択は全て、自由。
ええ、もちろん、その通りです。
今まで通り、イヤなことは拒否もします。

ただ。
今の状況は、「個人的な都合や好みの問題など介入の余地がない」ような様相であるので。
動かされることは、受け入れるしかないこともあり。
その前提で、それでもなお「拒否権は自分にある」と思っていよう…っていう。

ま、戯言でございます。

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