絵そのものは消えても、無意識領域には確かに、カタチが刻まれる

作品制作についての諸処

もうすぐ、冬至。

冬至というのは、最も昼が短い日。

つまり、夜が長い日。

今の時期は、その日に向かって刻々と、闇の時間が長くなっていく時。

昨日まで明るかったのに、今日は暗い…そんな、日が続く。

日本の神には、善悪の概念が薄い。

西洋の一神教とは異なり、いいも悪いもフラットで、自然発生的に、あらゆる感情や事象を一律に捉える。

在るものはある。

在るものは、「是」。

闇もまた、是。

人は、闇の中にいても光を見ることができる能力を、発達させてきた。

ただじっと朝がくるのを待つ以外に、自ら、光を想像し、やがて光を発する道具を創造した。

自分たちよりもずっと強い敵に囲まれる夜の闇も、想像と創造の力で、光を共に感じて生き延びてきた。

日本の神には、外来神が多い。

いつの間にか、何の不都合もなく、自分たちの国の神として認識し、神徳を見出し、求めてきた。

人には不都合な神であっても、「悪魔」という概念を持たず、神は神はとしてみてきた。

一柱の神の中にも、いろいろな面を認め。

無機物にも、神性を見る。

もちろん、人間の中にも。

神を描く、という仕事をやることになってしまった私も。

神なんてロクなもんじゃない…と言いつつ、やっぱり、そこに希望も夢も見る。

己の中の苦渋とか、納得できないこととか、理不尽さとか。

そんなものがありつつも。

好きと言い切れない、それだけでは済まない、いろんな葛藤がありつつも。

やっぱり、それでも。

引き受けていくことで、この国の…この世界の、民族としての「光」を。

目に見えるように、カタチを付与する…という役割を。

このまま、続けていこうと、自然に、思ってしまう。

大きな絵を、描きたい。

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この絵は、今はもうない。

絵というのは、儚いものだ。

それでも、人の記憶というデータ格納庫に…それが繋がる、無意識領域に。
カタチは、確かに、刻み込まれる。

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