あなたが見ているワタシは幻想。
どんなに知ってると思っていても、それは本体とは違う。
ちょっと知ってるくらいなら、なおのこと。
自分の意に沿わぬ言動をした?
そんなの、あなたの勝手な決めゴト。
自分は人に気を遣っている、と公言する人ほど、身勝手を平気でやる。
「自分の思う気遣い」と、「人が願う気遣い」は、全く違うところにポイントがある。
具合が悪い時、私は声をかけてほしくない。
自分のことで手がいっぱいなのに、人の相手なんかしてられない。
放置しておいてほしい。
できれば部屋(家の中)にいてほしくもない。
…と、そんな風に日頃から思っている私と、具合が悪い時はとにかく側にいてほしいと願っている人とは、たぶん、「使ってほしい気」が、全く違う。
「どうしたの?具合悪いの?どこか痛いの?ねえ、どうしたの?熱は?保健室行く?」
うるせー、頼むからどっか行ってくれ。
話しかけんじゃねえー、相手させるなー!
そして、それは、どちらが良くてどちらは悪いとかいう性質の話ではない。
「せっかく気を遣って声かけたのに無視された!態度悪い!」
と、翌日クラスに広まってた…なんてことも、あった。
は?それ、私が悪いんかい?
こっちは具合が悪くてそれどころじゃなかったってのに。
その状態で、アンタの余計なお節介に気を遣えと?
でも、世の中って、そんなもんだ。
具合が悪そうな人に声をかけてやさしくしてあげる=良い行い
そこは確かに否定はしない。
だから、その子が悪いとも、言わない。
ただし、私には全く嬉しくなかった、というだけ。
その子が見ていたのは、「具合が悪そうな同級生」であって、この私ではない。
その子は、いい子だった。
困っている人をほっとけないタイプ。
好かれている子だった。
私だって嫌いじゃなかった。
ただ、私にとっては度が過ぎたお節介で、最悪の時に最悪の声のかけかたをしてきた…と。
それだけの話。
そして、非常事態にいる自分にとって、その子は「身勝手」そのものだった。
気を遣う、なんてことは。
十中八九、自分の中の思いでしかない。
気を遣わなくてもいい、と言ってるのではない。
気の遣い方や、遣い処は、決して一つではない、ってこと。
人によるってこと。
時と場合によるってこと。
つまり、「気を遣ったつもり」を受け入れてもらえなくても、怒るのは筋違い。
うまく適合すればラッキーくらいに思って、スルーされたり断られたりしても受け流す。
うまく適合する確率が高い人が、人から好かれたり信頼されたりするようになっていくのであって。
積み重ねていった、結果の話だ。
そういう人は数こなしているだけ、裏目に出ている経験もたくさんしているのだ。
だから、受け流すのも上手い。
人との距離の取り方は、難しい。
そんな風にも感じるけれど、結局は「どこまで人に期待をするか」の温度差だと思っていて。
そもそも、すれ違って当たり前なんだと思っていれば、別にどうってことはないじゃないか。
自分の意に沿わない行動を相手がしたからって、そのこと自体を怒る権利がそもそも、自分にあるのか。
お互いが認識している状態の約束事を片方が一方的に反故にした、というのなら怒っていいし、怒るべきだけど。
そうじゃない、単なる「こうしたら喜ぶかなあ」という期待以上のことがないのなら、期待外れだったからって怒るのは筋違い。
あなたの幻想は、あなたのものでしかなく。
相手のものではないのだ。
「こんな人だと思わなかった」の前には「こんな人であってほしい」という期待があった。
それだけの話だ。
いつか見た空。