「思われたい姿」なのか「思わないでほしいという願い」なのか

好きに生きよう道

○○だっただろうね…という風には、絶対に、思われたくない。

とあることがきっかけで、そんな想いが強く沸いた。

それは、絵の道では大先輩の方の訃報に触れた時。

お目にかかったことは一度だけだったけれど。

その時の会話を、しょっちゅう思い出しては、反芻してきた。

絵描き道において、一つの理想の姿を見せてくださっている方。

つい最近も、タイムラインにいいね押させていただいていて。

人は突然にして、この世界から去っていくのだなぁと。

突然のことだったそうで。

こうして「ある時突然にして描く手(肉体)を失う」のだ….と、よくよく刻みこんでいこう…と。

私にとっては、これからも、この道を歩く上で良き道標のお一方であることに、かわりはない。

そのことをSNSにつぶやいたのだが。

その時、冒頭に書いた「○○だっただろうね…という風には、絶対に、思われたくない」というのが、わき上がってきたのだ。

これはあくまでも私が勝手に思うことだけれど。

今回の訃報では、無念だったでしょうね…という種類の想いは一切、わいてこなかった。

でも、私が書いた「「ある時突然にして描く手(肉体)を失う」のだ….」という一文から、そういう想いを連想する人がいるかもしれない。

だから、わざわざ、追記をした。

「突然失う」のところにそうした情動を混ぜ込まないでください、と。

なぜって。

私自身が、自分がそうなった時に、人から「無念のうちに突然の…」という感想を持たれたくないからだ。

今までそんなことを思ったことなかったけど。

今日は、ものすごく、「いや、それは絶対にイヤだ」と、思った。

どう思われたい、という問いにいつも「さぁ…別に」といった答え方をしていたけど。

今ははっきり「無念だったろうな」とだけは思われたくない、と感じた。

そうだ、だからこそ、実際なった時に人からそのような風に思われないような発信をしていかねば。

そんな風に思った、数時間後。

「人からどう思われたいか」ではなく

「どうと思われたくないか」だったな…と気がついた。

なので、能動的表現に言い換えみようと、考えた。

「無念だったでしょうね、とだけは思われたくない」

を「~たい」に言い換えるなら

「悔いなく生きたと思われたい」

とか?

いや…なんだか違う。

それは、少し、違う。

悔いなどは、おそらく、何をどのようにしたところで、ヒトカケラはあると思う。

全て何もかもやりきったタイミングと一致するなんて、どんな確率だ。

そうじゃない。

無念だだったでしょうね、とだけは思われたくない…という想いとイコールでは結べない。

そう考えていたら。

言い換えが、どうしても、できなかった。

もしかすると、この想いは、

思わないでほしい、という願いであって。

思われたい姿…とは、違うのかもしれない。

たった一度の出会いだったけれど、ずっとこんな風にいろいろ考えさせてくださって。

本当に、ありがとうございました。