生きづらい、と感じて、日々がシンドイ…と。
あなたは、そういう中で毎日を過ごしていないだろうか。
なぜ、そうなっているのだろう。
運が悪いから?
恵まれてないから?
環境がよくないから?
私は、生きづらいということには、はっきりした「原因と結果」があると思っている。
つまり、因果。
それは、「尊敬する人」の有無だ。
そんなこと? と、思っただろうか。
自分が生きづらいことと他人の存在、どう関係あるの? と思ったろうか。
けれど、私は、答えはそれしかないと考えている。
生きづらさがどうこうという
「だって辛いんだもん!!!」
に繋がれきってしまっていること、それ自体が、一番の生きづらさであって。
そこから離れる最良の方法が「尊敬する人を見る」ことなのだ。
尊敬するひとがたくさんいる世界とは。
それだけで、かなり素晴らしい。
尊敬する人達が先を行く姿を日々、見せていただいていると。
「自分は、こういう人と同じ世界に生きてるんだ」
ということを、日々、感じることができると。
自分の生きづらさ、というところから、フォーカスが変わる。
こういう人と出会えて、見ていることができて、自分の頑張り次第では同じ空気を吸ったりもできる。
それは、自分が今、この世界で生きてるからこそなので。
その生きている日々には、当然、様々な出来事があるわけで。
それらはどれも、一面から見れば「良いこと」で、別の一面から見れば「悪いこと」で。
結局、物事への意味づけとは
「その出来事を、どの面から、どういう感情でもって受け取るか」
という相対的なものでしかない。
だからこそ。
自分が生きている同じ世界に、今生きている人を尊敬する。
それが、大切なのだ。
尊敬できる人なんて誰もいない…とは。
世界の広大さをロクに知らないのに、世界とはこういうものと断定しているということ。
その視野の狭さこそが、己を生きづらくしている、最大の因果なのだ。
生きづらさを解消したいのならば、尊敬する人を一人でも増やしなさい。
その人を真似る…などの、よく言われるテクニック的なことは考えなくてよい。
そうではなく。
どのような人を見た時に、自分が「この人はすごい」と感動するかを知りなさい。
そんな人はいない、と断定するところから、まず、少し離れなさい。
近くにいないなら、出会うまで動きなさい。