自分の視界に入る「あの人」「この人」が、いろいろなチャンスを得てどんどん進んでいるように見える。
なんかうらやましい。
わたしはどうして、ずっとグズグズしたままなんだろう。
もし、そんな風に思う時があるなら。
なんでもいいから、動いてみるのが一番です。
口開けて待っていたって、何も起きません。
時間はどんどん流れ去るだけです。
まずは手当たり次第でもいいです。
理由をいちいち作りたくなってしまうかも知れないけれど。
その必要、ないです。
理由づけをしなきゃ何もできない、というのを、まず、外していくって大事です。
そして、実際行動した後に、マイナスをカウントしないこと。
「あんなイヤな人がいた」
「あんな気まずい思いした」
「大して面白いモノもなかった」
みたいに、マイナス面ばかり数え上げて確認してしまうと、全体の印象が悪いまま終わってしまいます。
その習慣を、変えましょう。
「乗り気にならない」を優先した結果が、今のあなた
自分から求めたというわけではない「新しい情報」に、どう対処するか。
案外、それがその後の展開を左右する「ちょっとしたきっかけ」だったり、します。
今、あえて、そんな「正体のわからない」ところへ、わざわざ出向く意味があるのかな、って。
時間を使って…それに使う時間を制作に充てる方が全然いいのじゃないかな、って。
「おっくうだし」
「ムダかもしれないし」
「他にやることあるし」
なーんて、思って、
「たまたま目に入ってきただけの、見知らぬ場所や人」のもとへ自分から行ってみる
…ってことに乗り気にならないってこと、あるのじゃないかな。
で?
今まで、そういう「乗り気にならない」を優先してきて。
どうなりましたか?
あえて乗ってみた…という人達は、どうなっていますか?
行ってみてはじめて得られること
先日、Facebookのタイムラインに、見たことない場所の聞いたことないイベントの情報が上がってきました。
Facebookって、自分が求めたわけではない情報も、自分の目に入るところに上がってくることがあるのです。
「シェア」というのは、もうずいぶん一般的な表現になってきていますが。
気に入った記事やイベントの情報を、繋がりのある人にも見てもらえるようにする機能です。
それ以外にも、誰かが「いいね」ってボタンを押したり、イベントのお知らせ記事に「興味ある」ボタン押したりすると、自分は知らない人やイベントの情報が、自分のところに出てくることがあります。
二週間ほど前だったか。
そんな風にして目に入った、とあるイベントがありまして。
その頃、「近場で、ライブペイントをやらせてもらえるマルシェ的なイベントにいくつか出てみるかな~」と、うっすら考えておりました。
その時目に入ったイベントは、自宅から車で1時間弱。
アットホームな感じの、個人主催のマルシェでした。
関係者にも、知り合いは誰もいなさそう。
でも、一応、空いている日。
行ってみるかな~
とは思ったけれど、実際に行くかどうかは当日の状況次第だな、と思いました。
3月にベトナムにまた行くのですが、その時に持って行くためのライブペイント用の組み立て式枠の材料を買いに行くなどの予定があったしね。
五分五分かなと思ってました。
今朝になって。
やっぱり、行ってみるかな…という気に。
帰りに枠材料を買うことにして、ダンナと一緒に出かけました。
結果。
正解でした。
とても、良い出会いがありました。
こういうものを仕入れられたらいいな…と考えていた素材を、制作販売されている方が、イベント主催者だったのです。
ライブペイントもやってもよい、ということで。
4月には、出展者参加しようかなと思っております。
こうしたことは、全て
「単なるきっかけ」
でしか、ありません。
それをどのように活かしていくかは、これからの私次第です。
もちろん、人や場との関係性というのは流動的。
一時だけの接点で終わることも、たくさんあります。
昔は、私も、「一時だけしか関わらない相手を、あちこち次々に作るっていうのも、どうなんだ」って、考えていた時期がありました。
あっちでちょこっと、こっちでちょこっと…食い散らかす…みたいなイメージで。
でも今は、「それらは結果論でしかない」と思っています。
たとえ本当に一時的なことだったとして。
一回だけ会って終わりだったとしても。
その一回から、何を吸収し、それをどう世界へ還元していくのか。
それは、全て、自分次第。
長続きする関係性だから良いとか、一過性だから良くないとか。
そういう問題ではないですよね。
自分の世界を開くことが開運だから
思い切って水に入ってみなきゃ、泳げるようにはならないし。
会ってみなきゃ、知り合いにもなれないし。
やってみなきゃ、できるようにはならないし。
損することを避けようとしてばかりでは、自分の世界は広がらない。
開運という字は、運を開くと書く。
つまり、「自分の世界を開くこと」です。