世界は自分が創っている~立ち位置で逆転さえする「受け取り方」

好きに生きよう道

たとえば、協会ビジネス。
たとえば、認定制度。
たとえば、お得意様だけに向けた少々特殊なサービス。

そういったものを、

「顧客を囲い込んで信者化させるための常套手段」

だと、見ていたことがあります。
今でも私は協会制度などは好きではありません。
ただ、信者化するためだけの箱ではない、という「見方」の比重が大きくなりました。
この記事のテーマは協会ビジネスの是非ではないので、そこはサラッと流しますが。

   

「信者化する」というのは、実のところ、悪意をふんだんに含んだ見方です。
それは自覚がありました。
事実、そのようにして入ってきた人達を縛りあげ自由が効かなくして吸い上げる一方の協会も多く存在しています。

それでも。

それは、創始者側運営者側の都合だけでなく、中に所属している人達も含めて「守る」ためのものでもある。

今は、そのように見ています。

   

以前の悪意を含んだ見方をしていた頃でも、守るための枠組である、ということは認識はありました。

それが更に深まってきて、以前の悪意たっぷりな見方を、ほぼ退けてしまったわけです。

搾取構造という面しか目に入らない頃というのは、「得られない」ことが自分の立ち位置でした。
その協会の教えている内容を得られないという話しではなくて。
世の中の全般に及ぶ、総合的な世界観とでも言うのでしょうか。

自分には得られない。

それが、ベースにあったのです。
自覚しているところと、していないところがありました。

けれども、この感覚が自分自身の世界観を構成する基盤の中に鎮座しているとまでは、捉えていませんでした。

  

このことをはっきり意識してからは、協会ビジネスだけでなく、様々なサービスを提供したり、販売したり、指導したりといった世の中のビジネス全般に対しての感じ方も変わりました。

お金を儲けることそのものに対しての抵抗は、もともと薄かったのです。
ただ、顧客を囲い込む、という図式に対しての拒否感がとても強かったという。
リピーターを大切にする、という言い方をすれば、別にイヤではないし、当然だよねとも思うのですが。

一度掴んだら、相手を縛って離さず、ずっと吸い上げ続ける。
そういうイメージの中にほんのわずか「伝承したいことを守るためには、そうでもしなくては難しいことがある」と思うこともあった。
そんな程度にしか、守るためのシステムである、という見方はできなかったです。

   

得られない、というベースがあったことを認識したきっかけは、作家活動をどのように展開していくか…ということを考えていた時に起きました。
話が大きく逸れるので、作家活動云々については今は触れません。

とりあえず。

自分の立ち位置が変わると、見える景色は本当に、違ってくるのです。
物事の受け取り方が変わる。
世界観が変わる。
メタ認知が変わる。

沸き上がる感情が変わり、感覚も変わる。

その結果、同時にいくつものことから「自由になったな」とも、感じました。

   

決めつけ、型にはめてしまってそれを動かさない。
それこそが、不自由です。
誰かからそうされるのではなく。
自分自身が、そのようにしているだけなのです。

一つそれを実感できると、「もしかして他のこともそうではないか」と、考えられるようになります。

そこからは、あっという間です。