人の顔色をうかがって、本心とは違うことをブログに書く。
それは、ナンセンスで、誰のためにもならないことだと思っている。
だったら、嫌味に見えようが攻撃的に見えようが関係なしに、感情もそのまま丸出しにして吐き散らせば、「本心を書いた」ことになるのか?
といえば、それは違う。
どのようなことをやっても、発言しても、好意的に捉える人と否定的に捉える人の両方が現れる。
だから、嫌われることや批判されることなど、恐れる必要はない。
本心をぶつけていけば、少しずつであっても必ず共感してくれる人は現れるから。
こうした理屈は、一見もっともらしいのだが。
どのように受け止め実行するかによって、先は大きく分かれていくのだ。
常に本音で。
嘘をつかない。
それを体現していく上で、確かに、批判を受ける可能性は覚悟しなくてはならない。
万人に好かれることなど、あり得ない。
ただし、それは、炎上芸に寄せていくのがよい、という意味ではない。
噛みつきまくればいい、という意味でもない。
暴言に等しい乱暴な表現を多用すればいいというものでもない。
それはもう、まるで違う。
嘘をつかず、本音を語る。
このことは、多くの人に共感してもらう表現を探していくことと、同時にできる。
私は今までけっこう長くブログを書いてきた。
そして、初期の頃から、AとBを対比させて自分の思う「よいもの」「よくないもの」の差異を彫り出していくような感じを好んだ。
時にはディスりに繋がった。
かなり毒を吐くこともあった。
そして、毒気の多い記事を書いた時ほど、アクセスがあがった。
でも今は、そういう手法をできるだけ抑えていくことを考えている。
一年ほど前から、そうした書き方をとらないで自分の思うことを表現していく書き方を探してきた。
おかげで更新が鈍ったり、書きたいことがなくなったりした。
その中で、改めて考えた。
「私は、比較して片方を持ち上げ、片方を批判または追求するような方法をとらなければ、自分の想いを語れないのか?」
と。
これはちょっとどうなんだよ…と、苦々しいことを存分に追求するのは、気分も良い。
それを読んで気分をよくしてくれる人達もいるわけで。
先鋭化していけば、確かに、コアな読者はできていく。
実際、それも経験してきた。
このSNS時代、インフルエンサーと呼ばれる、ネット上で強い発言力を持つ人達が現れた。
その中には、次から次へと炎上を起こして知名度を上げていくタイプの人達もいる。
強烈な追従者をたくさん生み出し、それ以上のアンチを作っていく人達。
それを見ているうちに。
こういうのを「本心で語る」と言うのは、違うよなあ…と、思うことが増えた。
なぜ、わざわざ、その言葉を選ぶのか。
なぜ、わざわざ、その表現を選ぶのか。
その方法をとらなければ、言いたいことが言えないのか?
その方法は、本当に、「最善、最適な効果をあげる」のか?
そもそも、効果云々以前に。
気分を悪くする人を生み出すような表現をとる、ということの是非を考えたくなってきた。
そんな、ここ1年ほどの状況だった。
この思考工程は、先日、結論が出た。
今現在の私の、結論ではあるが。
誰かや何かをダシにして持論を述べるようなスタイルはとらない。
ディスりに繋がるような表現方法はとらない。
もしも、そうでなければ述べることができないような持論ならば、沈黙を選ぶこと。
過去に書いたものを書き直すことは、しない。
それはそれで、その時の私が思った本音だから。
私は嘘はついてこなかった。
誰かの顔色をうかがって、本心でないことを書く…ということは、してきていない。
キラキラに見せたいとか、人気があるように見せたいとか、有名な風に見せたいなどの目論見は、私はそもそもできないので。
試みてもこなかった。
そんな必要も感じなかった。
本心を書いて嫌われるなら、それはそれで仕方ない。
そういう割り切りは昔からだし、今後も変わりない。
私は文章を推敲して推敲して整えていくような書き方は本当に無理なので。
思いついたことを冒頭から打ち込んで、書き終えたら読み返しもロクにせず投稿してしまう。
おそらく、今後もそうしていくと思う。
だから。
私が「表現の仕方を変える」という時は、それ以前の「日常的なものの見方や考え方」そのものから変えていく必要がある。
つい批判的に見がちだったり、欠点をつつきがちであったり。
そういう自分の在り方そのものを…だ。
不平不満ばかり、グチばかり、批判ばかり、説教じみたご意見ばかり。
わざわざ煽ってばかり、わざわざ叩いてばかり。
そういう人が本当に信頼されるのか…ということでもある。
薄っぺらく感謝だ愛だとキレイゴトを並べている人達よりはマシじゃないかと思っていたこともあったが。
今では、どちらも同じだな、と思えている。
何かや誰かを持ち出してこなくても、自分の中にあるものをもっと深く掘っていけば、言いたいことはちゃんと書ける。
まだまだ、試行錯誤は続く。