ちょっととぼけたユーモラスなエッセンスをカタチにしたい

作品制作についての諸処

この子の画像を最初に見た時、
「ああ、もう、この子はうちに来てもらわねばならない!」
と、思った。
どういう由来のモノかとか、縁起がどうとか、意味とか、理由とか、そんなのどうでもいい。
これを一目惚れというのか…と、後から思った。

Facebookのタイムラインに載っていた画像で。
金額を提示して分けてもらえる性質のものなのかどうかも、その時はわからなかった。
もし、しばらく待って何もアナウンスがなければ、こちらから聞いてみようと思っていた。

この子と一緒に掲載されていた他の像も、みんな、かわいい子ばかりだったけど。
うちに来るのはこの子以外にない、と思っていた。

販売品としてアナウンスされた時、そのページに行くときはドキドキだった。
もう他の人のところに行っちゃってないだろうか…
いや、あれは絶対、うちに来るはずだ。
他に行くわけない。

あれは、今思い出しても…
「感覚の転換」
が起きた瞬間だった…と、思う。

    

淡々と事務的に作る方がノイズがのらない…と言われて

私は滅多に、ある物を「特別なモノ」として感じることはない。
そう扱うことも、ほとんどない。
擬人化して考えるなんて、滅多にない。

便宜上、生き物のカタチを模しているようなモノに「あの子」という言葉を使うことはある。
けれど、本当に、「あの子」と思って呼んでいることは、それほど多くはない。

そういう意味では、私は「遊び」の少ないタイプかも知れない。

自分自身が、ナニカを模した「型」になるモノを作ったり描いたりしているのに。


昔から、愛用品に名前をつけている人とかが、信じられなかった。
なぜそんなことをするのか、まるで意味がわからない。
その方が愛着がわくよ、と言われたこともあるが。
いやいや、カンベンして…と思うだけだった。

そこに存在しているモノに対して愛情を注ぐことができない。
そんな感覚さえ、ある。

それが。
何の因果で、自分が「型」を作る側にまわってしまったのか。

「だからこそ、適役なんだ」
と、以前ある人に言われたことがある。

過剰な「思い」をのせることがないから。
淡々と、ある意味事務作業的に作ることができるから。
「作り手の想い」は、時に、器として機能させるためのノイズになることがあるのだ…と。

丹精込めて…という、宝物を扱うような気持ちが大事なのではないか?
そんな風に思っていた私は、その言葉でかなり気が楽になったものだ。

それが、まさかの、画像で一目惚れっていう。

    

三本脚のガマが先導する「造形」の行方

この子は、ガマ。
財運を運んでくるという、三本脚のガマ。

いやもう、そういうの、別にどうでもいい。
財を運んでくれればもちろん嬉しい。
いくらでも受け取る用意はある。

今も別に名前をつけているとか、そういうのはないけど。
神棚の真下、うちの「上座」の特等席に鎮座している。
常に目に入る位置に。

実は。
この子が来て以来…ていうか、画像で一目惚れして以来。
作りたい、と感じるモノのフォルムが変わってきた。
今のところ陶器作品は絵付けを中心にやっているけれど。
塑像も、好きだ。
造形品の龍たちも、絵よりもぐっと、丸みがあって可愛い感じになりやすかったのだけど。
それが一層、前に出るようになった。

これとか。

ガマを作ろうとしたわけではなくて、一応、猿田彦さんの眷属っていうのイメージしたんだけども。
まあ、ガマである。
そして、土鈴のつもりだったのに。
釉薬のかけ方を失敗して、中に入れている玉が本体にくっついてしまい、鳴らない土鈴になってしまった。
それでも、これをとても気に入ってくださった方の元へと旅だつことができた。

    

下の陶器は、2年前に作ったもの。

この像のように、造形品として作る時、私の龍は丸くなる。
絵に描く時とは、かなり違う。
それは、前から自覚はしていた。
絵に描くようなイカツイ龍を作ろうと思っても、なぜか、像はそうならない。

それはそれで、私自身には全然何も問題はないので、気にしていなかったけど。

ガマがうちに来た時。
ガマを鎮座させた時。
たぶん、これからは、絵に描く龍も、丸くなっていくんだろうな。
と、思った。

なんというか……
真面目すぎる龍画は、なんか、違うのだ。
というか、違ってきたのだ。

具体的にどうなるのか、今はまだ自分にはわからない。
けれど、手はもう知っているはずだ。

だから、特に悩んだり不安だったりはしない。
手が創るように、描くように、カタチにするだけだから。

ただ。
今までは、皆目見当つかないままでなんとなく動かしてきたのだけど。
今は、ガマがいてくれるおかげで…
手に、はっきりした方向がインプットされたと思う。

後は、私自身の脳と手の間の繋ぎを、もっと正確に、精緻にしていけばいい。

って、簡単そうに書いたけど。
まあこれが難しいんだけどもね。

とにかく。
ガマに一目惚れして、その子がうちに来てくれて。

道案内を、してくれている。

こんな風にして、一つ一つ、頑固な私の頭にもわかるような出来事が、起きていくのだ。