平成と令和の狭間時間に

日々徒然

周りの状況に半ば煽られるようにして、
実はそれほど興味がないことを、
すごく面白いとか、
楽しいとか、
やりたいとか、
向いてるかもとか、
いろんな風に勘違いをして。

けれども、そういうことって、

一時的な刺激でヘンなテンションになっているだけ

の脳が、すっかり酔っ払って出している結論。

直感を大事にして、すぐに取りかかれ!

と、飛びつくことが善であるかのように。
煽って煽って、追いまくった。

…ていうのが、平成だったような気がする。
いや、昭和後半から、すでにそうだったかな。

それはもう、破綻した。

煽られて起こした行動は、
「モチベーションを維持するにはどうしたら」
なんていう、おかしな疑問をたくさん、生んだ。

借り物の物差し。
借り物の言葉。
借り物の主義主張。
借り物の判断基準。

道に迷った時、助言を求めた相手もまた、道に迷っている人でしかなかく。

「今ここ」が大事。
過去も未来も幻想。

そんな考えが流行して。
過去や未来
を視野から消した人達は、
より深い迷宮へと入り込んだ。

もう、自分がいるところが迷宮だと気づくことすら、難しい。

大地は揺れ動き、海は荒れて地を侵食し。
空は渦巻き逆流する。

世界はフラクタルでできている。
マクロの動きは、ミクロの中でも起きる。
ミクロの動きは、マクロにも展開される。

すべて連動していて、相似形を成している。

世界がよくなってほしいと願うなら。
自分がよくなっていくこと。

自分でよくなっていくこと。

自分をよくするために、人を使わないこと。

自分を活かすために、人も活かすこと。

それはきっと、「今」しか見ていない近視眼的視野には叶わない世界を見せてくれる。

時間は並列しているとか、
時間は繋がっていないとか、
時間は折り重なっているとか。
そんなことは、どうでもいい。

「今しか見ない」のか、
「先を見ながら今を生きる」のか。

そういう話ではないのかな。