「去りゆく」ものは、何なのか。2019年大晦日

日々徒然

ブログを書き始めて何年目だろう。
今年は、本当に、書かない一年だった。

書かなかった
書けなかった
書く必要がなかった

どれも、あてはまる。

私にとって、文章を書くということは、一種の「自己治癒~回復のための儀式」でもあった。
だから、一日に数回、長文を投稿していた頃というのは、その分いろんな意味において「危なかった」時期。

思考を文章に置き換えて、自らの中で整理し、視覚化していかないとやっていけなかった。
だから、人にとって読みにくいとか、理解しにくいとかいうのは関係なかった。

ある意味、必要性が薄れたというのは、それをしなくてもバランスが取れるようになったという「喜ばしい結果」とは言えるかもしれない。

   

今年は、「どうやって、発信するか」ということが大きくテーマとして浮上してきた年でもあった。

そのテーマは今も試行錯誤の途中だ。

  

そして、今年は、二拠点生活がスタートした記念の年にもなった。
陶器作品やガラスへの絵付けを一つの軸にして、今は新しいモチーフや素材をテーマにした作品群の設計を行っている。
そうなるに至ったのは、越前生活の賜で。
場所を変える、というのは、大きな刺激になる。

福井でご縁をいただいた新しい交流の輪も静かに広がっていて。
同時に、地元愛知での輪でも、とてもありがたい協力関係ができつつあって。

今は、実世界での動きがとても充実して楽しい。

  

2019年というのは、様々な物事や関係性が変転した年だった。

ここ2,3年、変転しっぱなしではあるのだけれど。
今年は特に、変転が一本の糸に引っ張られているかのようにつながっている感覚がある。

その糸の動きは、止まらない。

今も、静かに、動いている。

  

元号が変わったこの年とともに去りゆこうとしているものは、果たして、何なのだろう。
すでに遠くに去ってしまって、振り返っても何も見えない…そんな景色も、浮かんでくる。

  

まもなく明ける2020年。
令和になって最初の、元日。

  

昇るのは、どんな朝日だろう。

  

  

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