美しいものを創り出していくということ

千の灯りの光の道 作品制作についての諸処
千の灯りの光の道

相変わらず迷走中でございます。
ここの更新も久しぶりですが、noteは、たまに更新しています。
Facebookは、たまーに投げていますが見る方は本当に減っていて。
メッセンジャーはよく使うので、その時ついでにタイムラインをチラ見する程度になっております。
なぜかいつも開いた時上の方にいる方って決まってくるんですよね。
なので、けっこうたびたび反応する方と、まるで見る機会もなくなっている人との落差が激しい昨今です。

そんな中で、思うこと。

生命感というのは、突き詰めれば、「美」である。

生きているかのような龍とか。
今にも出てきそうな神様とか。
なんかこう…生命感のあるものを創る、というのが、私の得意とするところでございます。
いやまあ、勝手にそうなるっていうだけで、わざとしているわけではないので。
得意、というのは、正確ではないかもしれないけれど。

生命感というのは、突き詰めれば、「美」である。

私にとっては、それが核に近いところにある信念。
信じてる云々という話ではなくて、そうであるという事実。

私は美しいモノを見ることも好きだし。
自分も、そうしたモノ達の仲間に迎え入れてもらえるモノを創って送り出したい。
そこは、おそらく、永久に変わらない。

と、いうことは。

それを創り出すために、自分自身を「どのように保つべきか」ということは、かなり厳密に考えていくべきなんだな…と、ここのところ強く感じるようになっているわけです。

「他人の感情」的なもの。
不安や恐怖、怒りを煽る主張。
なんらかの方向へ思考を誘導しようとするようなもの。
無気力感を誘発するようなもの。

そういうものに常に晒されるという環境は、ささくれます。

   

よいこと、ポジティブなことしか受け入れない…というのではなく。
自分自身が、ダーク/ネガティブ発想が多いことを、踏まえています。
ただでさえそっちに傾きやすいのに。
外部刺激でよりその傾向に拍車がかかるのは、今は、本当に、嫌。

そう思うとね。
私自身が、そういうものをまき散らすのも、よいことではないよねえ~って、なっちゃうしね。
だから、「別にこんなこと、声高に書き散らすことでもないよね」って、思えてくるし。
自然と、書きたいことも減っちゃいました。

   

私は今まだ、「こういうもので満たしておきたい」と思う状態にまでなれていません。

まだまだ、ノイズが多い。

ああ、こんなことにエネルギー割かれてる場合じゃないな…と、思うこと多々。

  

私は、神様や龍たちを描かせてもらったり、創らせてもらったりして、それでお代をちょうだいする作家です。

この作品を届けたい、と感じる先に、どんな方がいらっしゃるかな…と思う時。

不安や恐怖から逃れるための「すがる先」として欲していただくよりも、未来への希望やよりよく生きていくための友でありたい。

何度も繰り返すけれど。

生命感が、そのまま、美…なのです。

よいこともそうでないことも、一時の通過点であって全てではない。
同時に、通過点の全てが、人生そのもので、生命活動そのもの。
それは、生を受けたあらゆる種族と、その近くにいるもの全てが連動して共同して創り上げていくもの。

そして、その中から拾い上げることができたほんの小さなひとかけらが、私の手から出てくる作品として、送り出されることになる。

…っていうだけ。

何を拾い上げるか、というのは、とても大切で重要なこと。

才能あふれているわけでもなく、輝かしい経歴があるわけでもなく。
よくわからない成り行きで、神様とか龍とか関わらせていただくことになってしまっただけの、凡骨ですので。

私自身の持って生まれた生命感というものも、もっと純度を高くしていきたいと願います。

だから、自分の中に取り入れるものは、より厳選していきたいなと思うわけです。
それが、より美しいモノを創り出すという結果につながっているから。

   

   

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