太陽や星や宇宙や自然
何かとコミュニケーションしたいために美しさを見せているわけじゃない。
周りに観客を集めたいわけでもない。
何に対して発信しているわけでもない。
もともとの在る姿を、在るように、存在している。
何の感情もなく、何の想いもなく、過去も未来もなく。
厳然とした「存在しているという事実」を、ただ見せているだけ。
それは、非情でもあり。
無機質でもあり。
無慈悲である。
故に美しく、人間の方が自らすり寄っていかずにはいられないのだ。
あらゆる種類の創作。
あらゆる種類の表現。
そして思想。
それらはいずれも、あれらの「厳然と、存在しているという事実のみを見せるもの」を、いかにしたら人の世界へ投影できるのか…ということを模索している過程で生まれてきたのだ。
私は、そう思っている。
そこに、一切の感情は不要。
感情は、人の世界へ投影された時、それに触れた反応として起きること。
故に、感情を操作しようという意図が潜むところに、私の求める美しさは、ない。