この金龍は、開運画である。
そもそも、そのように描いた。
だから、結果を伴って、当然なのだ。
私とて、己の手による作品に対して堂々と
「これは開運画です」
などと言い切れる日が来るとは、思っていなかった。
そもそも私は、何らかの物質によって人の運が開けてくるなどの効果をもたらすということを、信じていない。
それは、「そのモノ」によってそうなるのではなく、あくまでも人の心理の問題だ。
つまり、
「この幸運を呼ぶ品を持っている自分は、幸運であり、さらに次の幸運を掴めるに決まっている」
と信じることによる、自分にとっての幸運センサーの精度があがりアンテナが敏感になり、能動的になれるという効果だ。
それによって、結果として、より幸運を掴む。
それを、「この品の力だ」と思うのは自由。
…という、至って即物的な考え方をしている。
見えないチカラを得て、その加護をいただいて、何らかの事象をうまく運ぼうとする…という種類のメニューを数種提供している身としては、この考え方はいささか、問題があるのかも知れない。
だが、それは事実なので、偽るのもおかしい。
そして、その一見相反する価値観は、自分の中では何も問題なく両立する。
信用するに足る実感が自分自身にもあるか否か…というところを、かなり厳密につきつめて考えているからだ。
実感がある領域のことは、「そういうことは、あるよ」と、答える。
そうでなければ、疑う。
それだけの話。
果たして。
今回、もう、ついに。
ここに降りた力は、私の運勢の流れを明確に、一定方向へと導いた。
と、確信するしかない状況が続いた。
事案が一つや二つなら、偶然だと判断するところだ。
残念だけど、そう簡単に確信に至ることはない。
私の懐疑主義は、たやすく覆るようなものではない。
見えない世界と関わるようになり、その影響が確実に生きている人間と物理に働きかける…というところまでは確信に至っていてすらも。
だから、今回私が、己の絵に対して「開運画だ」と公言するに至ったというのは、かなり凄いことなのだ。
きっかけ
この絵は、とある指示の元、制作に着手することになった。
下にリンクする記事に、その件が書いてある。
自分のために書いているものなので、人が読んでもたぶん、なんのこっちゃ…という記事だと思う。
だから、興味がない人は飛ばしてもらってかまわない。
優秀な仲介者を通して、私にその指令は届けられた。
「なぜ自分用の金龍を描かないのだ」
という問いから始まった、その指令の流れ。
龍を描き始めたばかりの頃、金龍を描いた。
そして、それは、とある方に所望いただき、北へ旅立った。
以後、金龍をちゃんと金龍と認識して描いた…ということは、なかった。
「その金龍を買った人は、そこから業績が大きく伸びてるんちゃうん?」
と、その大変優秀で非凡なる仲介者に、大阪弁で、聞かれた。
ご所望くださった方の活動は、うっすらと知っている程度だが。
確かに、その当時とはかなり展開の違うお仕事ぶりだとは思う。
「そうやろ? そんで、なんで、ヒロちゃんは自分用にそれ、やらへんの? て、なんか私めっちゃ怒られてるんやけど…」
ええええええ????
自分用に描くなんて、そんな発想、私にはなかった。
なんでやねん。
なんで自分用?
スサさんとかは、「ああ、これはもう手元から離すわけにはいかんな」という絵が二枚もできてしまったとか…あるけども。
龍やで?
龍、なんで手元用にせなあかんねん………
ああ、ヘンな関西弁はご容赦を。
カミサマ話をする時、なぜか、関西弁になりがちなのだ…なぜかわからんけど。
そこから、始まった。
細かいサイズの指定。
紙ではなく布に描くべし、という素材の指定。
形状は必ず正方形であること。
そして、描くべき「龍体の範囲」指定。
かなり具体的で、細かい指定だった。
私の大の苦手、ハガキサイズ以下の小さな絵だ。
よりにもよって!
だが、そのサイズをカバーするための技法の指定まで、きた。
うん、白状するが。
その時は、彼女が口頭でその技法の特徴を伝え始める前に、何を使って描けばいいのかは、イメージでわかっていた。
拒否できない、確実に「できる」とわかるやり方だった。
かくして、私はその後ほどなくして、その指定された金龍にとりかかることになり。
そのミニサイズを描きながら、同時進行で、もっと大きな正方形のキャンバスを使って、細部までしっかり描きこむ「フルバージョン」的な位置づけでの金龍を描くことになった。
だって。
それが必要と、わかったからだ。
できあがったのは、3Dちびキャラ金龍と、リアル金龍…といった風情の。
対になった二点。
ただ、そもそもが「モノによって運勢を動かす」といった発想に欠けている私のこと。
その経緯は記憶にあっても、描いたからどうした…といった発想は、あまりなかった。
ちょっとした家族内事件のようなものが持ち上がった時、ちょっと恨みがましく
「言う通り働いてんのに、なんだこの流れ!」
と、文句を言ったことはある。
が、だいたいが、描いたからどうした…みたいな話、本気にしてはいない。
そのつもりで描いたわけではなく、流れで描く指示が飛んできたので、それに従っただけ…と思っていただけだった。
従うことそのものは、私の通常運転であり、特別この時に気合いが入っていたとか、そのようなことはない。
ところが。
この後、次から次へと。
大きな動きが、自分の身辺に起きることになる。
かなりプライベートなことも含むし、自分以外の人が関わることもあるので、詳細は控えるが。
本当にもう、次から次へ。
お金も入ってきた。
5月にやらせていただいた東京での展示会「龍の箱庭展」への流れもあった。
その展示会では、思いがけないお客様の手に白龍が飛び立つことにもなった。
これまで想像していない全く違うコミュニティとの引き合わせがあり。
そこから、先日のベトナム渡航に繋がった。
私の「覇気」を引き上げて、盛り上げてくれる様々な出来事は、どれも、金龍以後に起きてきたことばかり。
そして、その流れは、まだまだ、続いている。
数ヶ月前にはまるで考えられなかった流れに、乗っかった。
あの時、優秀で非凡な仲介者たる友人の口から私に伝えられたのは
「ヒロちゃんは今、自分の前で巻き起こっている竜巻を見ている状態。けれども、本当は、それに自分が乗って巻き上げられていかなくちゃならない。なのに、それをしようとしてない」
ということ。
現状、どう考えても、巻き上げられてしまっている。
巻き上げられて海外までぶっ飛ばされた。
今後も、それは、続いていきそうだし、続かせるよう自分自身でも動いていく。
私の一番の恩人にも、「突き抜けてきたね!」と、言ってもらえた。
その言葉をもらって、やっと、その実感が持てた。
よい報告ができること。
それが、何よりも一番、嬉しいし、達成感がある。
アチラさん(見えない世界側)は、そんなことは、重々、お見通しだ。
本気で、確信をもって、公言する
開運したい、運気を高めたい、状況を動かしたい、打破したい。
越えたい壁がある。
今よりも上を目指す。
そんな気持ちがある方は、私に龍画を発注するべきだ。
私は、絵に潜ませることができる「見えない世界的な小技」のいくつかを、伝授してもらってもいる。
それを使わなくても十分に力のあるものをお届けできる。
が、そこにさらに上乗せを行うことが可能だ。
(私の金龍には、それら小技でのプラスオンは全くしていない。言ってみれば、スッピンである)
もちろん、安くはない。
そこそこな投資にはなる。
しかし、「越えるべきハードルを越え、願う現実を自分のものにする」という意志を強く持ち続けるための最適な媒体となるはずだ。
持つ人を選ぶ…ということは、起きる可能性はある。
だからご依頼いただいても、必ずお引き受けできるとも、限らない。
時間もかかる。
かなり、お待ちいただくことは、ご了承いただくしかない。
私は今まで、このようなことを…己の手から出てくるモノを開運作品であるなどと公言したことは、一度もない。
むしろ、そんなことは起きない…と信じてきた。
だが、趨勢は変わる。
私は、あなたに、切り開く力をお渡しできるだろう。
【追記】前述の、金龍を一番最初にお買い上げ下さった方とは、ある若い社長だった。
まだ額装もしていない状態の金龍画で、値付けも確定していない時の話。
ご覧になって、すぐに
「これ、買うから。額装して送って」
とおっしゃって、とにかく仰天。
そして、額装してお届けし、恐る恐る価格をお伝えしたら、上乗せして振り込んでくださったのだ。
それから数年経った今、関係者の方から伝え聞くことができた。
なんと、業績が約20倍になっているという。
嬉しかったが、それよりも、安堵が大きかった。
そして、当時の流れが今につながり、開運画として描くということに、さらなる自信が持てるようになった。
ただし、その社長がどういう方であるかなどは、公にはしない。
私はお買い上げ下さった方が自ら語って下さるならば、喜んでそれをご紹介する。
しかし、自分からお客様の情報を明かすことはしない。
さあ…ここまで読んでくださったあなたは、開運を希望されるだろうか。
決めるのは、あなた自身。
ぐっと飛躍をもくろむ方は、ぜひ、あなた専用の金龍を手にしていただきたい。
気になる方は、お問い合わせを。