「開運画の描き手」とはどのように在るべきか考

日々徒然

一流になれるか、なれないかは、ほんの些細な…けれども残酷なまでに明白な違いがある。

そんな話を、してもらった。

私は、とても多くの、非常に素晴らしい「先生」に恵まれている。

自分の道筋の上で、驚くほどにベストなタイミングで、適切な導き手に出会ってきた。

長く関わる方もいらっしゃれば、ほんの一時…一日だけとか、数時間だけという関わりの方も。

短時間しか関わらなかった方が影響力が少ないか、というと、決してそんなことはない。

現実の時間では短い接点であっても、後に至るまでずっと、その短い時間内で教えていただいたことや、聞かせてくださった言葉が私の中に生きている方も、いらっしゃる。

「時間じゃない」のは、恋に落ちる時だけの話ではないのだ。

冒頭のことを聞かせてくださったのは、若くして一流の仲間入りを果たされた、たたき上げの職人から実業家となられた方。

私が、今自分が感じている自分の壁を、破れるか否か…ということに関わる話の中で出た。

下流にいる時から、志は一流であるべきだ…と、複数の導き手から言われてきた。

その意識なくして、勝手に一流になることは決して、ありえないのだ。

それをハッキリと二分する、小さいけれども見逃すことはできない点。

「もはや、作品のクオリティ云々の問題ではありません。日々を、どう生き、何を発して何は黙するか…というところです」

上記の通りにおっしゃったわけではなく、意訳を含んでいるが。

そういうことだ。

だから。

私は、己の発する言葉を、その中身を、表現を。

今一度、ちゃんと考えて、整えていくことにする。

開運画、飛躍のための絵。

そういう絵を、送り出す描き手として。

どう在るべきなのか。

合わせるべき照準は、もう、定まっているのだから。