よい相手と過ごすよい時間は、源泉へ注ぐ滋養となる

日々徒然
 

どれだけ長い時間会話しても、一向に内容が深まっていかない…なんてこともあれば。

ほんの一言二言ですっと堀り下がっていける人もいる。

 
 

私は比較的、後者タイプの友人に恵まれてきた。

ボキャブラリーはそれほどではなくても、感覚が鋭い人は、短時間で深いところまで掘り進むことができる。

ただ、そうした会話を楽しむ…というのは、とても、豊かな時間だと私は思う。

 
 

そこからビジネスが立ち上がるようなことは全くなく。

お金の匂いも全くなく。

ただ過ぎる時間に、

あちらこちら行ったり来たりしながら、

不意にぐっと深みに至ったり、

逆に舞い上がる気流に乗る感覚が訪れたり。

誠に、ありがたい時間だ。

 
 

そうしたやりとりの中で、ふと、

「そうか、そういうことか~」

と、自分が考えていたことに確信が持てるようになったり。

「なんだ、そういうことだったのか」

と、疑問が解けたり。

時には、自分自身が見えていなかった別の視点の存在に気づくことができたりもする。

もちろん、そうした瞬間は、他の様々なことの最中に起きることだってあるのだけれど。

やはり、よい時間を、よい相手と過ごす中で起きるそれらは、味わい深いもの。

そうしたものは滋養となって、創作の源へと流れ込む。

負荷をかけて、かけてかけてかけ続けて、追い込まれていく中で、

その圧力によって引き起こされる創作エネルギーというものも、確かにあるけれど。

それは、プレートが動くひずみが地震となって表れるような、ある種破滅的な側面もあるわけで。

そういう力からでなければ生まれないモノも確かにあるとはいえ。

いつもそれでは、身が持たない。

静かな、源泉へと注ぐ滋養を生み出してくれる時間は、やはり、貴重。

なんてことない日常が、一番大事。