氏神様へ、龍画を奉納いたしました

作品制作についての諸処

先日、奉納させていただきました龍画。

10月15日、氏神様の秋祭りにて、披露いただきました。

作品は、前の記事でご紹介しておりますが。

せっかくなので、ここにも。

題字も一緒に、とのことだったので書きました。

金色は、「こんじき」と読んでほしいな。

箱書き

絵は、普段は社務所の中に展示されます。

が、社務所は施錠されているため、一般の方は入れません。

ご神事の際、祭壇のしつらえの一つとして使っていただけるそうです。

また、近隣の小中学校等催事の時に貸し出されることもあるそうです。

町の重鎮が、とても喜んで骨折ってくださいまして。

お披露目の際の立派な展示は、そのおかげです。

作品の左側には、どういうことのためにこの絵が描かれたか、ということを筆書きしたものも掲示していただきました。

それも、長老さんのご配慮でした。

奉納日の少し前に、書いたものを一緒に箱に入れてもらいたいと依頼をいただきました。

その理由が。

「何代も経つうちに出処不明になってしまうのはよくないから」

ということで。

そんなこと考えもしなかった私。

継承する、ということが、自分の絵に起きるって!

私は、描き手がどこの誰かとかも、別に誰にも知らされなくても構わない…と思うのです。

作品にサインは入れるけれど、それは、自分の責任で描きましたというために入れています。

この奉納作品は、すごく控えめにサイン入れていまして。

ぱっと見、入ってるかどうかわからないくらい。

赤や黒のような目立つ色ではなく、作中に多く使っている黒金で書いています。

なぜそうしたかというと、この絵は…ここに出ている龍は、今後は氏神様の…つまり地域の元で働くのだから。

私のサインは目立つべきじゃ無いって、感じたからです。

なので、長老さんからのご依頼にはとまどいました。

ただ、

「絵の出自という意味では、それは大事な資料なのだな」

とも、思うようになりました。

今でも、作者が誰かなんてことは別にどうでもいいじゃないか…と思うけれどね。

そういうこととは別の意味合いですね。

今までだって、私は「自分のために描いているのだけど、絵は自分のためのものではない」と、思ってきました。

描くという行為は、究極、自分のためです。

やりたくてやってるから。

もちろん、描かされる感覚はあるけれど、それとこれは別の話。

行為は自分のため、でも絵そのものは、自分のものではない。

いつかどこかにいる、絵と(その中の意匠と)引き合う人のために、絵はある。

今回、氏神様への奉納を経て、「外へ出る」という感覚が今までと少しだけ、違う感じ方になった気がします。

さて…次は産土様だけど。

産土様は、奉納を受け入れてもらえるだろうか?

年が明けたら、打診からはじめてみます。

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