アイデアというのは、出てきた時は「自分って天才?」とか、思っちゃうんだけど。
いざ、実際にスケッチしてみたりすると、具体化する段階でほとんどの重要な要素が空中分解というか、雲散霧消してしまうんだよねえ…。
それでも、やるんだ
想像している時は、ものすごく素晴らしいものができあがりそうな錯覚に簡単に陥る。
というか、その錯覚を、錯覚であると気づかずにいられるんだよね。
ただ、想像しているだけの時は…ね。
でも、ほんのわずかでも、手を使って具現化する試みをしてしまうと…。
それが、錯覚という以上の妄想でしかなかったってことは、すぐに、実証できてしまう。
「オレはまだ本気だしてないだけ」っていうマンガがあったけど。
そういうことを言って…
言ってなくても心のどこかで思っていて、本気出せばすぐにスゴイものができるんだから、って思ってる…というのは。
思っているうちが、花
…だよね、って、思うね。
妄想しているものをそのまま念写とか、念力で作ったりできたらどんなにいいか…って、よく考える。
できるわけないことだから、なおさら、考える。
だってさ。
もし、この先技術が進んで、ほんとに念写や念力制作ができるようになったとしたら。
その時はその時で、きっと、想像力の差っていうものが歴然として実証されるだけのことなんだよ。
どっかで見たようなものを寄せ集めただけの「まがいもの」みたいなものしか想像できない人間と、どこかに光るものや、芯の通ったものを出現させられる人間と。
分かれていくんだよ。
そういうものだよ。
だから。
平凡な才能と、凡庸なスキルと、中途半端な集中力や精神力しか持たないものは、とにかく、「やるしかない」のだ。
古今東西、どんなに科学が進歩したって、そのことは、変わらない。
足が遅くても、やめずに歩ききれば、いつかはたどり着く場所もある。
画像は、とある試作品の前段階、アイデアスケッチの一部。
頭の中に全部ある
とか言えるのは、モーツアルトクラスのほんとの天才だけだからね。
それか、新妻エイジとか(いや、もはや実在人物ですらないが)
99%の人間は、頭の中にあるものなんて、ごくわずかな部分の、あやふやな蜃気楼的イメージであって。
それを、実際に三次元に持ってくる段階で、どれほどの要素を妄想世界から現実に持ち込めるか…というのは、愚直にやり続けた人にはかなわないのです。