「陶芸と見えない世界って、似てる…というか、同じかなって、思うんです」
そう言うと、彼女はとても不思議そうな顔をした。
何を言ってるんだろう…という表情を隠そうともしなかったので、ピュアさに思わず、笑みが出る。
可愛い人だ。
だから、私は一つずつ、細かく区切って、説明を試みた。
普段なら、「まあ、そんな気がするっていうだけですけどね」など、適当にすますところだけれど。
土という素材が、あります。
それは、構造が確定しています。
分子構造、水分量、焼成した時の収縮率などなど。
蓄積したそのデータをもとに、いろいろな行程を組み立てます。
焼成一つとっても、最高温度、そこまであげるまでの時間配分、達してから冷却をはじめるまでの時間配分…など、条件が一つ違えば、誤差が出ますね。
釉薬などは、もっと顕著で。
そもそも、もともと天然の鉱物などから採取した色素や成分をもとにしているわけで。
現在では、その分子構造を解析して、人工的に配合した「こういう色になる」と設計されたものを使用することが多くて。
中には、天然には存在しないものも、生み出されているわけです。
で、それを、どの土に施釉(釉薬をかけること)するか…濃度をどうするか…何回施釉するか…何度で焼成するか…温度管理をどうするか…などなど、ほんの少しの違いで、目論見とはまるで違った配色に焼き上がったりするわけです。
見えない世界って、それと同じだと思うんですよ。
もともと、それぞれの神は、それぞれの役割を持っている。
神でない、他の存在も、それぞれの定義を持っている。
けれど、人間がそれを、様々に解釈していって、本来役割ではなかったはずの「ご利益」みたいなものを上乗せしたりして。
で、長い時間が経って、人間の中の共通認識として、その上乗せされた役割が定着していくと。
それは、そういうベクトルを、それ自体が備えてしまうわけです。
もともとの土に、別の成分を配合したようなものです。
やがて、本来の姿のほうが記憶からも記録からも薄れていって。
後付けのものが、「そういうもの」として定義されていく。
けれど、そうなったらもう、それはそれで「ホンモノ」になっていくんですよ。
人工的に配合した色だからニセモノだ…とは、言わないでしょう?
彼女は、わかったような、わからないような…という釈然としない様子だったけれど。
それでも、そうかも知れませんね…と、聞いてくれた。
最後に、ぽつっと
「なんか、すみません…」
と、一言。
私は苦笑するしかない。
「いえいえ、おかまいなく。
まあ、だいたい、私も話が下手ですし、わからないって言われることの方が多いので、問題ないです」
それは、本当のことだ。
私は、自分の方が常に、理解不能なことを言い出す側だ…と、思っている。
たまに例外があると、嬉しくなる。
もっとヘンな人がいた!
というのは、とても嬉しい、楽しい、刺激になる。
なかなか、遭遇しないけど。
私は見えない世界を見たり、声を聞いたりは、できない。
できるとしても、非常に限定的な条件の下でしかなく、自由になるものでもない。
私の、このような感覚は、ほとんど人に語ることもなく、自分の中だけでいじって遊ぶにすぎない。
だから。
もしかしたら、こんな感覚は、思うほど珍しいものではなく。
むしろ、至ってありきたりで、ただ人はそのようなことを口に出す機会がないだけ……と。
思っても、いる。